悪しきに合掌

自分から自分への気づきメモ

物理宇宙の構成要素

分離の信念

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宇宙はこれで出来ている。

 

全なるもの

平安

永遠

♾のエナジー

…からの分離。

分離したという錯覚(強烈無比な思い込み)。

 

だから、この世で生きるということには、常に不足感が付きまとう。

 

一元ではなく、二元の世界だから、全なる安心感を求めて、陰陽は引き合うけれど、その安心感の多くは刹那的。

 

でも、この世の抗えざる法則として、またバランスという美名のもとに、この「不足感」を動機としたあらゆる人間活動は最大限尊重されている。

 

しかし、「不足感」の真因をほとんどの人間は知らない(というより知ろうとしない)。

 

分離することで得られた(ように見える)自由と引き換えに、この途方もない「不足感」だけではなく、そこから派生するどうしようもない「恐れ」という呪詛までも自らに課してしまった人間は、皮肉にも一元なる愛、安心感を(見当違いな)外の世界に求め続けて彷徨い、枯渇する(と信じて疑わない)生命力を求めて死ぬまで食を貪り続ける。

 

色(しょく)と食(しょく)は、人間を人間たらしめると同時に正気を蝕(しょく・むしば)む。

 

一時的に得られる安息に快楽という感覚を付随させて中毒化させるとともに、その原因である分離感(不足感)は、潜在意識の奥にしまいこませて自覚不能の自己トラップを掛け、不足感から派生し湧き続ける「恐れ」の方は、反射的に外部のもの(社会、環境、自分、他人、モノ、その他全て)に投影するという卑劣な防衛機制によって誤魔化し、その皺寄せとして生み出される様々な依存、葛藤、憎しみ、怒り、悲しみ、そして見せかけの愛と思いやり…等々によって、太古より数多の人間ドラマを紡ぎ出し、執着という鎖で拘束することで、脱出不可能に見える牢獄として今なお順調に機能しているのがこの素晴らしき進化を遂げてきた宇宙と神の子の実態。

 

だから、この世という牢獄を地上天国化させるなどと言う耳障りの良い妄想が虚言であることを見抜き、一人一人がなんとか正気を取り戻すことが先決。

 

そもそも、この世を天国化させようとしている人間そのものが、この牢獄にとっての害悪なのだから、人間が改心して皆が出所しさえすれば、そこは自ずから天国化するという逆説的事実にもかかわらず、その牢獄の住人は、中身のグロテスクさ(精神的、肉体的にも)を隠すために、外身の装飾に試行錯誤し、いかに刑期の延長を図るかに夢中で、出所する気なんて更々ないということを肝に銘じておきたい。

 

にもかかわらず、無自覚的な生き方をする人間は増え続け、この世の地獄化に拍車をかけているという…もう悲劇なのか喜劇なのか分からない混沌化した現代社会。

 

…という捉え方、考え方も宇宙と人間に対する一つの解釈だけど、

その心は、

分離を知覚し、分離に迷わず、私(自我)を捨て、わたし(自己)を保ち、地獄にいて、天国を生きる。

その実相を自他の中に見出す「存在」でいることで、何もせずに全てを為し、誰にも知られずに自他と世界を救う

 

ということで、今宵もまたビールでも飲みながら、世界(歪曲された想念=私)のクリーニングをしましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己承認欲求

その想いの底にあるもの…。

 

「わたし(自己)」という存在そのものに対する思い込み。

 

「わたし」と「だれか」という関係性の思い込み。

 

本来、「ない」ものを「ある」と思い込んでいる。

 

錯覚している本人には「ある」が真実。

 

そして、錯覚していることを自覚する人はほとんどいない。

 

錯覚している人がいる、というのもまた錯覚。