私は傷つけられない

夢を見ているとき、

その夢のストーリーを私が作っているとは思わず、夢の中の私は、その夢の中でリアルな体験をするが、その夢の中で体が傷ついても、現実世界の私の体に傷ができるわけはない。

のと同じように、現実世界で私が傷ついたり、死んだりしても、本当の私は傷つかないし、死ぬこともない。

なぜなら、現実もまた幻想だから。

二重スリット実験の考察

素粒子(電子)は「確率の波であり、観測すると粒である」というアレです。

日常生活を送る上では、素粒子が波だろうと粒だろうと何の関係もなさそうに見えるんですけど、我々の世界の基盤である素粒子の世界では、なぜそんな矛盾した結論になってしまうのか?

現代においても色々な解釈があるわけですけど、キーワードとなるのは「観察」という人間の観察者の関わりだとされてますよね。機械の観察ではなく「人間の」というのがミソ。

とはいえ、結局のところ未だに明確な答えには辿り着いていない…ということは、もしかして根本的な前提(素粒子=観察対象)が間違ってるんじゃないか。

例えば、素粒子(宇宙の正体)はそもそも観察する対象ではなく、人間に対象を観察(認識)させているもの、だとすると…。

この考え方を通して量子力学の数学的構造を見て行くと、その構造基礎である複素ヒルベルト空間(←wikiなどでお調べ下さい)こそが素粒子の母体ということになり、そこから人間の「無意識」構造との繋がりが見えてくる。

素粒子は人間の心の基盤であり、観察する対象ではなく、人間に対象を観察(認識)させているもの、つまり素粒子を基盤とした宇宙は人間の外にあるのではなく、人間(こころ)の中にある…と。

素粒子=意識=人間の本質(魂)

昔から世界は幻想(マーヤ)と呼ばれてはきたものの、何がどうマーヤなのかはマーヤのままでしたが、今までとは全く違う視点からの切り込みにより、全く違う世界、全く違う「人間」の本質が見えてくる。

今時のノンデュアリティ的に言われる「私はいない」というのも、こうしたバックグラウンドの補足がないと、虚無主義的なものとの違いが分からなくなってしまうんですよね。

勿論、知的理解は、体験そのものと代替できるものではないですが、意識の反転を促すキッカケとして時に大切な役割を果たすと思ってます。

そして、この壮大なトリックの仕掛人であり、神と分裂していない、ただ一人の神の子であり、実在する唯一の「わたし」の正体とは…。

答えは、この中点(・)の向こう側にある(いる)、…と言えるのかもしれません🙃

また、それ即ち宇宙図書館(アカシックレコード)の入口(ポータル)でもあるわけで、そこに運んでくれる希望の器こそがホントの意味の宇宙船(宇宙を出るための船=世界認識を反転させるトリガー)ということになるのでしょう。

仮想現実2

Skyrimというゲームをご存知でしょうか。

 

地球ではないある星のとある大陸の北方地域を舞台にした壮大なストーリーに基づくオープンワールドゲームですが、開発者以外にもユーザーが設定を変更し、その世界を作り変えることがらできるという機能があることで有名かつ今なお愛されているゲームです。

ただ、仮想現実の世界といえども、既存設定の変更、新たな導入って結構大変だったりします。

そんな視点からこの宇宙を想うとき、この世界を創った人って、進行上のバグの少なさ(ほぼ皆無)からしても、神業レベルの職人だなと改めて感心します(人間と比較すること自体、究極のナンセンスですが…)。

とはいえ、巨大惑星など情報量がドデカイものの近くだと情報処理の関係で時間の進行が遅くなるというのは、やはりあるみたいですけど地上で日常生活する上では全く分からないですからね。

また、地球にいる70億以上いるNPC(non player character)のAIも個性豊かに、よく喋り、それぞれ独自の行動原理をもって生活してますし、何よりも各キャラクターが自分の存在を疑っていないというのが凄い。

ストーリー(脚本)設定については…。
過去の歴史を見る限り、出血やグロ系が大好きなのは間違いないような。人間だったら人格疑われ(…以下略)。

「食(エナジー補給)」についても、枯渇すると活動不能(再起不能)となるように設定されてるから、各AIはエナジー補給のために色々と動く動く。でも動くとエナジー消費するから、またその補給するために動く。

日本だと、それらの生体維持活動を「人が動くと書いて、働く」なんて呼んでいるわけですが、生きるために、ホントは働きたくないのに働くって、なんか存在自体が矛盾してますよね。

世の中の不食(ブレサリアン)の方々は、このエナジー補給物及び経路の設定を「食料品→プラーナ」、「胃袋→霊体」に書き換えているのだと思いますが、こんなのゲームで言えば、明らかなチート行為ですから、他の真面目(?)なプレイヤーさんからすると許せない(認めたくない)のも頷けます。

真光の業なんかも、一般人から見れば、やはりチートですけど、こうしたことも運営側(神霊界)のmod導入として考えると、捉え方がちょっと変わるかもしれませんね。

チートアイテム「御み霊」

また、バラエティに富んだストーリー演出として、各NPCアバターに活動限界を設け、その稼働期間が尽きる前にその分身を残すことができるように、男女に分けるという粋な試みを導入し、自然発生的な相互補完機能を基本プログラム(遺伝子)に組み込むことで、運営側が放置していても自動増殖するという無間地獄…もとい永久機関・安心設計の実現にも成功!

しかし、大方のNPCは、大元のこの地獄設定を解除しない限り、永遠に足りないものを求めて彷徨わざるをえないことに気づいていない。

そんな夢の世界、ヴァーチャル空間「ぷらねっと地球」なわけですが、「仮想空間に天国文明建設とか、何か意味あるんですか? ヘッドギア外してリア充するのじゃダメですか?」

なんて生意気なこと言うと、この世界では完全に浮いちゃうので、ここで生きているうちは、「郷に入れば郷に従え」って諺の通り表面上はおとなしくしてないとね…。

とまぁ、生意気なことは言えても、自分自身もAIという存在しない「私」と同一化し過ぎている洗脳状態にあるわけだから、まずはそれを解かねばならないわけだけど、そのためには、自分の正体がゲームの中のNPCではなく、画面(宇宙)の向こう側にいる生きたプレイヤーであることを知識としてではなく体感的に思い出さないといけない。

そのための方法論、修行方法は太古の昔より、星の数ほどあるわけですが、数年前「宇宙からの脱獄手引」のひとつとして見つけたのが、『A Course in Miracles』です。

ただ、この本に書かれていることが真実かというとそうではないのですよね。

では、嘘かというと嘘でもない。
円錐は、視点によって三角にも円にも見えるけど、実体は三角でも円でもない…ように、正誤という視点からではなくて、脱獄するための方法として「役に立つかどうか」という視点から「役に立つ方法」に焦点を合わせて作られているようです。

そして万人向けではありません。

その代わり、読者に迎合する必要も、守るべき組織も、上げるべき売上目標もないので、その理論と方法論の主張に一切妥協がありません。

それなのに、今まで読んだどんな書籍、どんな講話よりも、言外の配慮や優しさ(愛)を感じます。

たぶん、このことは以前のmmkでも触れたことがあると思いますが、今わたしが持ち合わせているなかでは、最高の「赤いカプセル」です。

滅茶苦茶とっつきにくい本なのでお勧めはできないですが、もしかしたらあなたも…。

真実は逆説的

いかに力をつけるかを考え頑張ってきたときに、力を抜くことで力以上の真のチカラを得られることに気づく…みたいな。

 

でも、真実とは、本質的な…というよりも「一面的なものであるという本質」を見落としがちである。

我思う故に我なし?

宇宙(時空間)、星々、動植物、人間、一部の宗教の世界における「神」、それらが存在していることが大前提として成り立っている(地球の)文明社会。

そして疑うべくもない「わたし」の存在。

我思う故に我あり。

でも、もしそれが本当のことでなかったとしたら、私たちは、いちばん根っこのところから、ボタンをかけ間違えて社会を作ってきたことになるのかも…しれません。

決して、ニヒルな暗い話ではありません。

結論!
めんどくさいけど、かけ間違えたところに戻って、ボタンをかけ直せばよいよね♪ということです。

でも、始めからかけ間違えてたなんて今更認めたくないんですよね。いずれ、かけ間違えの事実に直面することが分かったいても…。
だから、かけ間違えた状態を「誤」ではなく、無理矢理にでも「正」ということにしちゃおう!と。

国際関係、宗教問題、民族紛争、経済格差、地位・肩書き、主義主張、離婚、相続、健康その他諸々

この星の人々は、何をそんなにムキになっているんでしょう。

物理宇宙の構成要素2

宇宙はナニでできている?

波動?
幻子?
ダークマター
それとも…愛?

答え: (分離の信念に基づく)恐れ

いやいや、それはあまりにも皮肉れた、というか一面的すぎる答えでしょう、確かに世の中おかしなこと、不条理なことも多いけど、素晴らしいことも沢山あるでしょ…という意見が聞こえてきそうです。

まぁ、人間関係のいくつかは、恐れから生まれているものもあるかもだけど、宇宙が「恐れ」から出来ているなんて誰が信じるものか。

そもそも、銀河系、無数の星々、道端に生えてる雑草、ランチで食べたパスタ等々、明らかに「恐れ」とは関係ないだろ。

美しい夕焼けや無垢な赤子の笑顔のどこに「恐れ」があるものか!

…と。


それでも、私は確信している。


宇宙は、「罪悪感」によるところの『恐れ』で成り立っているということを。


そして、その恐れの克服法は、世界の中にはなく、私の恐れを投影した私の中のフィルムにあることを。


そのフィルムは、私の経験する世界の中の関係性を通してこそ、知覚できるということを。