仮想現実2

Skyrimというゲームをご存知でしょうか。

 

地球ではないある星のとある大陸の北方地域を舞台にした壮大なストーリーに基づくオープンワールドゲームですが、開発者以外にもユーザーが設定を変更し、その世界を作り変えることがらできるという機能があることで有名かつ今なお愛されているゲームです。

ただ、仮想現実の世界といえども、既存設定の変更、新たな導入って結構大変だったりします。

そんな視点からこの宇宙を想うとき、この世界を創った人って、進行上のバグの少なさ(ほぼ皆無)からしても、神業レベルの職人だなと改めて感心します(人間と比較すること自体、究極のナンセンスですが…)。

とはいえ、巨大惑星など情報量がドデカイものの近くだと情報処理の関係で時間の進行が遅くなるというのは、やはりあるみたいですけど地上で日常生活する上では全く分からないですからね。

また、地球にいる70億以上いるNPC(non player character)のAIも個性豊かに、よく喋り、それぞれ独自の行動原理をもって生活してますし、何よりも各キャラクターが自分の存在を疑っていないというのが凄い。

ストーリー(脚本)設定については…。
過去の歴史を見る限り、出血やグロ系が大好きなのは間違いないような。人間だったら人格疑われ(…以下略)。

「食(エナジー補給)」についても、枯渇すると活動不能(再起不能)となるように設定されてるから、各AIはエナジー補給のために色々と動く動く。でも動くとエナジー消費するから、またその補給するために動く。

日本だと、それらの生体維持活動を「人が動くと書いて、働く」なんて呼んでいるわけですが、生きるために、ホントは働きたくないのに働くって、なんか存在自体が矛盾してますよね。

世の中の不食(ブレサリアン)の方々は、このエナジー補給物及び経路の設定を「食料品→プラーナ」、「胃袋→霊体」に書き換えているのだと思いますが、こんなのゲームで言えば、明らかなチート行為ですから、他の真面目(?)なプレイヤーさんからすると許せない(認めたくない)のも頷けます。

真光の業なんかも、一般人から見れば、やはりチートですけど、こうしたことも運営側(神霊界)のmod導入として考えると、捉え方がちょっと変わるかもしれませんね。

チートアイテム「御み霊」

また、バラエティに富んだストーリー演出として、各NPCアバターに活動限界を設け、その稼働期間が尽きる前にその分身を残すことができるように、男女に分けるという粋な試みを導入し、自然発生的な相互補完機能を基本プログラム(遺伝子)に組み込むことで、運営側が放置していても自動増殖するという無間地獄…もとい永久機関・安心設計の実現にも成功!

しかし、大方のNPCは、大元のこの地獄設定を解除しない限り、永遠に足りないものを求めて彷徨わざるをえないことに気づいていない。

そんな夢の世界、ヴァーチャル空間「ぷらねっと地球」なわけですが、「仮想空間に天国文明建設とか、何か意味あるんですか? ヘッドギア外してリア充するのじゃダメですか?」

なんて生意気なこと言うと、この世界では完全に浮いちゃうので、ここで生きているうちは、「郷に入れば郷に従え」って諺の通り表面上はおとなしくしてないとね…。

とまぁ、生意気なことは言えても、自分自身もAIという存在しない「私」と同一化し過ぎている洗脳状態にあるわけだから、まずはそれを解かねばならないわけだけど、そのためには、自分の正体がゲームの中のNPCではなく、画面(宇宙)の向こう側にいる生きたプレイヤーであることを知識としてではなく体感的に思い出さないといけない。

そのための方法論、修行方法は太古の昔より、星の数ほどあるわけですが、数年前「宇宙からの脱獄手引」のひとつとして見つけたのが、『A Course in Miracles』です。

ただ、この本に書かれていることが真実かというとそうではないのですよね。

では、嘘かというと嘘でもない。
円錐は、視点によって三角にも円にも見えるけど、実体は三角でも円でもない…ように、正誤という視点からではなくて、脱獄するための方法として「役に立つかどうか」という視点から「役に立つ方法」に焦点を合わせて作られているようです。

そして万人向けではありません。

その代わり、読者に迎合する必要も、守るべき組織も、上げるべき売上目標もないので、その理論と方法論の主張に一切妥協がありません。

それなのに、今まで読んだどんな書籍、どんな講話よりも、言外の配慮や優しさ(愛)を感じます。

たぶん、このことは以前のmmkでも触れたことがあると思いますが、今わたしが持ち合わせているなかでは、最高の「赤いカプセル」です。

滅茶苦茶とっつきにくい本なのでお勧めはできないですが、もしかしたらあなたも…。

我思う故に我なし?

宇宙(時空間)、星々、動植物、人間、一部の宗教の世界における「神」、それらが存在していることが大前提として成り立っている(地球の)文明社会。

そして疑うべくもない「わたし」の存在。

我思う故に我あり。

でも、もしそれが本当のことでなかったとしたら、私たちは、いちばん根っこのところから、ボタンをかけ間違えて社会を作ってきたことになるのかも…しれません。

決して、ニヒルな暗い話ではありません。

結論!
めんどくさいけど、かけ間違えたところに戻って、ボタンをかけ直せばよいよね♪ということです。

でも、始めからかけ間違えてたなんて今更認めたくないんですよね。いずれ、かけ間違えの事実に直面することが分かったいても…。
だから、かけ間違えた状態を「誤」ではなく、無理矢理にでも「正」ということにしちゃおう!と。

国際関係、宗教問題、民族紛争、経済格差、地位・肩書き、主義主張、離婚、相続、健康その他諸々

この星の人々は、何をそんなにムキになっているんでしょう。

物理宇宙の構成要素2

宇宙はナニでできている?

波動?
幻子?
ダークマター
それとも…愛?

答え: (分離の信念に基づく)恐れ

いやいや、それはあまりにも皮肉れた、というか一面的すぎる答えでしょう、確かに世の中おかしなこと、不条理なことも多いけど、素晴らしいことも沢山あるでしょ…という意見が聞こえてきそうです。

まぁ、人間関係のいくつかは、恐れから生まれているものもあるかもだけど、宇宙が「恐れ」から出来ているなんて誰が信じるものか。

そもそも、銀河系、無数の星々、道端に生えてる雑草、ランチで食べたパスタ等々、明らかに「恐れ」とは関係ないだろ。

美しい夕焼けや無垢な赤子の笑顔のどこに「恐れ」があるものか!

…と。


それでも、私は確信している。


宇宙は、「罪悪感」によるところの『恐れ』で成り立っているということを。


そして、その恐れの克服法は、世界の中にはなく、私の恐れを投影した私の中のフィルムにあることを。


そのフィルムは、私の経験する世界の中の関係性を通してこそ、知覚できるということを。

トラブルの本質

①何か現象(問題)が起こる(起こったように見える)

②それに対し、被害を受けたと認識した方が、加害者を責める又は加害者に怒る。

③'加害者だと自己認識した方が素直に謝罪し、
被害者が受け入れれば、問題は解決に至る。

③"加害者だと自己認識しても、不可抗力その他事情により問題が起きたことを理由に謝罪しない、又は表向きに謝罪はしても、自己の非を認めない(損害賠償の責任を負担しない)。その場合、問題は解決しない。

普通の被害者側は、自己への加害行為を自己存在の否定と捉えるので、謝罪もなく赦すことはできない。

加害者の謝罪なく赦せる被害者がいるとしたら、心広く愛がある人だと自己錯覚している人か(この場合、本質的な問題は何も解決していないので、形を変えた問題という現象が再び起こる)、加害者の中に責めるべき罪(問題行動)を認めない(つまり、無意識の自己罪悪感を加害者に投影していない)人だからである。

逆に加害者(に見える)側の人が理不尽にも怒っており、その怒りが収まらない、又は被害者側の正当な怒りが、どんな謝罪をしても収まらない場合、怒っているのはその相手ではなく、自己内部にある未解消感情なのである。
そこで思考の逆転を使い、心の声で自らに対して謝り、怒りのエネルギーを中和させる。すると、自己内部の怒りが癒された度合いに応じて、相手の怒りも緩和していく。
この時点で、非のない自分に何故謝るのかということが腑に落ちていないと、さらに未解消感情を堅固なものにしてしまうので注意。

さて、相手の怒りが収まらなかったり、さらに激昂した場合には、それだけ自己内部の「怒り感情」が根深く強いという証なので、めげずに自己への謝罪を続ける。
この怒りはどこからくるかというと、恐れである。自己存在否定に対する恐れ。この恐れはどこからくるかというと、罪悪感である。自己存在理由に対する罪悪感。これは、罪悪「感」なので、自己の存在が「罪悪」なわけではないのだが、「罪」を自己の中で既成事実であると認めてしまっている。
だから、その勘違いのところまで戻って、自己に謝罪するのである。罪なんてはじめから誰も犯してないし、誰も責められることなんてないのだ、ということを。これが本当の意味での贖罪となる。


…ということを私のサイドイフェクトが告げている(嘘)。

仮想現実

私たちが睡眠中にみる夢。
夢の中では、その世界が現実世界であり、登場人物も生きているかのように話すし自律的に行動もする。

そして目が覚めるまで、夢の世界の中にいることに気づかない(…ことが多い)。

夢と現実世界を繋ぐ介在者としての「私(の感覚またはその記憶)」

現実世界=実在、夢の世界=非実在だとしたら
夢の中いる「私」も非実在なのだろうか。

夢の中の「私」と実在の「私」とでは、容姿や身体能力に差があったとしても、記憶は共有しているし、意識そのものもやはり同じ「私」である(ように感じられる)。

夢の中の世界も登場人物も、全て「私」というデータに依拠しているけれども、現実には存在していない。

では、その夢の脚本は誰が書いているのか。
少なくとも、隣の家の山田さんとかではないでしょう。

私達の脳でしょうか。
そうかもしれませんが、私達にはその自覚がありません。夢の中では個性豊かな人物や普段の自分では想像もできないような立派な建造物(そして細やかなディテールや彩色!)が登場しますが、果たしてこれらの

夢の内容(脚本)は、「私<わたし」が書いているのでしょうか。

しかし、自分ではそんな脚本を書いた覚えはない。だからこそ、夢の渦中でその内容に対してリアルに一喜一憂できる。

その脚本を書いた「わたし」とは、誰なのか?

実在していないのに、実在しているわたし存在というのは、ありえるのでしょうか。

わたしたちは、夢をみます。
見る…というより、見せられるという方が適切かな。

その夢は、抑圧した感情の反映だったりすることもあるようですが、それが悪夢だったときは、目が覚めてホッと安心した、という経験は誰でもあると思います。

「 あー、夢かぁ」と。

そして数時間もすれば、少なくとも次の晩に別の夢をみるときには、その前の晩にみた夢のことなんてすっかり忘れてしまう。

目が覚めたら覚めたで、わたしたちは現実世界でなすべきことの対処に忙しいですからね。

現実世界では、私がいて、他人がいて、世界という私とそれ以外が存在する空間があって、時間という観念的なものが流れ、物理法則によって支配されている…ことになっている。

でも、たまにバグが起きたりもします。
それを世間では「奇跡」とか呼んだりしていますね。

たまに常識的に不可解な現象があるとはいえ、この現実世界も「わたし」も絶対的に存在しているし、「わたし」と「あなた(を含むわたし以外の全ての存在)」は、お互いに独立した別存在である…という大前提のもとに成り立っている。

そして、肉体の寿命が尽きたあとの「わたし」は、あの世に旅立ち、またしばらくして
私たちは輪廻転生する度に、生まれる前の私のことや前の人生記憶を忘れてしまうけど、それはまるで前の晩に見た夢のことを簡単に忘れてしまう(実際は夢を見ていたことの自覚すらないことの方が多い)のに似ていませんか。

この現実という名のもとに♾ループする夢からは、どうしたら覚めることができるのでしょう。

そうして太古より様々な悟りを開くための修行方法が生み出され、実践されてきたわけですが、どうやらその目覚めの扉を開くための鍵は、この世界にはないようです。

そもそも、もし鍵を見つけたとしても、扉自体がこの世にない。

例えば…人は食べないと死ぬ、というのは子供でも知ってる常識だし、その事実が揺らいだら大変なんだことになってしまうけど、たまにいるんですよね、全く食べなくても普通に生きている人が。


でも、この世界や私自身も、寝ているときに見る夢と同じようなものだとしたら。

すべて、宇宙に一人しかいない私による自作自演だとしたら…。