悪しきに合掌

自分から自分への気づきメモ

二重スリット実験の考察

素粒子(電子)は「確率の波であり、観測すると粒である」というアレです。

日常生活を送る上では、素粒子が波だろうと粒だろうと何の関係もなさそうに見えるんですけど、我々の世界の基盤である素粒子の世界では、なぜそんな矛盾した結論になってしまうのか?

現代においても色々な解釈があるわけですけど、キーワードとなるのは「観察」という人間の観察者の関わりだとされてますよね。機械の観察ではなく「人間の」というのがミソ。

とはいえ、結局のところ未だに明確な答えには辿り着いていない…ということは、もしかして根本的な前提(素粒子=観察対象)が間違ってるんじゃないか。

例えば、素粒子(宇宙の正体)はそもそも観察する対象ではなく、人間に対象を観察(認識)させているもの、だとすると…。

この考え方を通して量子力学の数学的構造を見て行くと、その構造基礎である複素ヒルベルト空間(←wikiなどでお調べ下さい)こそが素粒子の母体ということになり、そこから人間の「無意識」構造との繋がりが見えてくる。

素粒子は人間の心の基盤であり、観察する対象ではなく、人間に対象を観察(認識)させているもの、つまり素粒子を基盤とした宇宙は人間の外にあるのではなく、人間(こころ)の中にある…と。

素粒子=意識=人間の本質(魂)

昔から世界は幻想(マーヤ)と呼ばれてはきたものの、何がどうマーヤなのかはマーヤのままでしたが、今までとは全く違う視点からの切り込みにより、全く違う世界、全く違う「人間」の本質が見えてくる。

今時のノンデュアリティ的に言われる「私はいない」というのも、こうしたバックグラウンドの補足がないと、虚無主義的なものとの違いが分からなくなってしまうんですよね。

勿論、知的理解は、体験そのものと代替できるものではないですが、意識の反転を促すキッカケとして時に大切な役割を果たすと思ってます。

そして、この壮大なトリックの仕掛人であり、神と分裂していない、ただ一人の神の子であり、実在する唯一の「わたし」の正体とは…。

答えは、この中点(・)の向こう側にある(いる)、…と言えるのかもしれません🙃

また、それ即ち宇宙図書館(アカシックレコード)の入口(ポータル)でもあるわけで、そこに運んでくれる希望の器こそがホントの意味の宇宙船(宇宙を出るための船=世界認識を反転させるトリガー)ということになるのでしょう。